今は絶好調のスバルだが危機的な状況もあったのだ

安全性の追求は従来通り、アイサイトver3をレヴォーグから順次採用され、全方位衝突回避にも対応。

 

のちに発表されたロードマップでは、17年に高速道路渋滞次自動運転、20年には高速道路自動運転を実現する。

 

販売がどんなに好調でも生産・出荷がうまくいかなければ企業の成長はない。

 

そのため、スバルは強い事業構造をつくる8つの取り組みを行う。

 

それが

  • 商品戦略
  • 市場戦略
  • 生産戦略
  • トータルコスト低減
  • アライアンス
  • 航空宇宙事業
  • 産業機器事業
  • 人材育成、組織・風土

の8つ。

 

この後、16年10月に修正され、産業機器事業を自動車部門に統合することを決定。

 

これによりスバルは自動車部門と航空機等を扱う航空宇宙カンパニーの2事業体制となった。

 

商品戦略では来年に米国専用の大型SUVのアセント、新型フォレスター、PHV、21年にはEVを発売する予定となっている。

 

エンジンについても19年には新設計のダウンサイジングターボが誕生予定だ。

 

10年前の危機的状況から脱し、今や世界の自動車メーカーのなかでも屈指の高利益率をたたき出す小粒でもピリリと辛い存在となったスバル。

 

2020年には、はたして今以上に際立つブランドになっているだろうか。

 

目下快進撃を続けるスバルでも過去に経営の屋台骨が揺らぐほどの不幸な出来事にしばしば見舞われた。

 

戦後のGHQによる財閥解体で、旧中島飛行機から再出発したスバルの最大の悲劇とは、経営を支配する資本提携の相手が、日本興業銀行(現みずほ銀行)、日産自動車、米GM、そしてトヨタ自動車と目まぐるしく入れ替わったことだろう。

 

しかも、当時メインバンクだった日本興行銀行と同じ筆頭株主の日産との主導権争いがエスカレート。

 

社内でははえぬきが冷や飯を食わされるなど「技術ありて経営なし」という悲惨な状態が30年以上も続いた。

 

経営方針や役員派遣などの思惑の違いから業績は悪化し、従業員のモラルも低下、84年には国の型式認定審査をパスするために「レオーネ」の車両重量をごまかして鉛を仕込んだ捏造事件が発覚。

 

96年には「レガシィ」のリコール隠し騒動で、業界初の過料処分を受けるなど、不祥事が相次いだ。

 

今でこそ、黒字が続くが巨大な赤字を抱え喘いでいた時代が長かったのだ。

 

89年には300億円の赤字、吉永社長がスバル国内影響部長を任された07年には100億円以上の赤字だったが、リーマンショック後の10年度以降は業績がV字回復した。

 

05年、GMが保有する富士重工の株20%を売却、そのうち8.7%をトヨタが取得し、08年には16.5%に増資。

 

軽自動車の自社生産終了という選択もした。